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眞板雅文 - 風景 99-15 - MixedMedia 【オリジナル額付】
¥198,000
■作者 : Artist 眞板雅文 : Masafumi,Maita ■作品タイトル : Title of Work - 風景 99-15 - / LandScape-99-15 ■作品サイズ : Size of Work 40x51cm ■額サイズ : Size of Original Frame 44x56cm (D,30mm) オリジナル額(木製楢材/アクリル/額裏にもサイン/黄袋/差箱) ■技法 : Technique MuxedMedia (和紙/針金/紐/鉛筆/ガッシュ/他) ■制作年: Year 1999年 ■サイン : Autograph 【有】(作品表面下部) (落款)/ Signed オリジナルの額裏面にも筆サイン有り。 ■Status : Good Condition No:99-15 ❖弊廊で眞板氏の個展は4回開催しています。(パブリックアートの設置も実施) この人と知り合え、また、懇意にしていただいたことは長きにわたる画廊人生に於いて、 大きな影響と自信を与えていただきました。 眞板氏から作品梱包が運送されて画廊日に届いた時、その梱包はロープで縛られていることが 多いのですが、その結び目が非常に格好良いんです。只々その結び目に感動をし、荷解きする のが勿体ないと思った記憶があります。 本作品は「ピンと撥ねた紐の結び目」「この場所以外には有り得ないと納得させられる緊張感に飛んだ筆跡」眞板芸術のエッセンスが濃厚な作品です。 ❖ 眞板雅文 ❖ 没年月日:2009/03/09 分野:美術家, 造形作家 (美) 読み:まいたまさふみ、 Maita, Masafumi* 立体造形において独自の試みを展開した美術家の眞板雅文は、3月9日心筋梗塞のため自宅で倒れ、神奈川県大磯町の病院で死去した。享年64。1944(昭和19)年11月11日、中国東北部撫順(旧満州)で生まれる。47年引き揚げ後、神奈川県横須賀で育ち、私立三浦高校在学中、教師の柴田俊一から指導を受け、現代美術に興味を示すようになる。1966年第7回現代日本美術展に出品、同年銀座の村松画廊で初個展(以後同画廊で83年までに5回個展を開催)を行う。初個展の作品は、矩形の支持体に複数の板をレリーフ状に構成したものだった。60年代末からは、海面を撮影した写真と鉛の棒、ガラス、電灯などを組み合わせたインスタレーションの作品を展開するようになる。71年、第6回国際青年美術家展で大賞を受賞、シェルター・ロック財団等の奨学金を得て2年間のフランス滞在を果たす。パリのギャラリー・ランベールで個展を開催するも、肺結核にかかり療養生活を余儀なくされたが、この体験は眞板にとって制作の姿勢を見つめ直す機会ともなった。73年に帰国後、神奈川県二宮町に住む。74年から、紀伊國屋画廊での第2回次元と状況展に参加、このグループ展には10回展まで出品を続ける。76年、第37回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。77年、第10回パリ・青年ビエンナーレに出品。海外への出品、旅行により、各地の風土にふれ、より自然と美術との関わりに思いをめぐらすようになる。80年代に入ると、ロープや布を用い、それを織り込んだ、網状や円のかたちをとる呪術的な趣を醸し出す作品を展開する。国内の画廊での個展や美術館の企画展への出品を重ねる中で、85年、ガストン・バシュラール生誕100年祭企画でのフランス、トロア市での展示、86年、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレへの出品は、ひとつの転機となった。作品の巨大化と野外彫刻、公共スペースのモニュメントの仕事が多くなっていく。構造上、作品の素材にはそれまで以上に、石や金属が使用されるようになるが、自然、とくに水へのこだわりは、止むことがなかった。その作風を耕すかのように、神奈川県秦野市(81年から)や長野県富士見町(94年から)の古民家を改造したアトリエで過ごすことも多くなっていく。1994(平成6)年、畏友安齋重男との神奈川県立近代美術館での展覧会「写真と彫刻の対話」では、代表作ともいえる29個の水盤状の立体「永遠の一端」を制作した。95年第7回本郷新賞を受賞。この頃から、竹を逆円錐状に組み上げる巨大な作品をみせるようになる。その環境造形としての試みは、97年下山芸術の森発電所美術館や2003年大原美術館の個展「音・竹水の閑」にみられた。現代美術の領域において、竹、自然石、布、水といった人々に親しめる素材を用い、ダイナミックに時に繊細に表現した作家といえよう。作品集に『眞板雅文1999』(小沢書店、1999年)がある。 「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用 出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(462-463頁) 登録日:2014年10月27日 更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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眞板雅文 - 連山夢想 - 彫刻
¥715,000
■作者 : Artist 眞板雅文 : Masafumi,Maita ■作品タイトル : Title of Work - 連山夢想 - / Mountain Ranges Waking Dream ■作品サイズ : Size of Work W約33 x D28 x H23cm ■技法 : Technique 石彫 / StoneSculpture ■素材: 伊達冠石 / ステンレス : Date Stone / Stainless Steel ■制作年: Year 2002年 ■サイン : Autograph 【無】(裏面にシール有) /Unsigned but With Seal on Verso ■Status : Very Good Condition/ Never Used Before ❖弊廊で眞板氏の個展は4回開催しています。(パブリックアートの設置も実施) この人と知り合え、また、懇意にしていただいたことは長きにわたる画廊人生に於いて、 大きな影響と自信を与えていただきました。 ❖本作品は室内設置のためのこのような作品のなかでは最優品です。ステンレスにはナイフで削られたようなラインが入れられておりますが、大胆にして繊細、まさに眞板作品の真骨頂といえます。 ❖ 眞板雅文 ❖ 没年月日:2009/03/09 分野:美術家, 造形作家 (美) 読み:まいたまさふみ、 Maita, Masafumi* 立体造形において独自の試みを展開した美術家の眞板雅文は、3月9日心筋梗塞のため自宅で倒れ、神奈川県大磯町の病院で死去した。享年64。1944(昭和19)年11月11日、中国東北部撫順(旧満州)で生まれる。47年引き揚げ後、神奈川県横須賀で育ち、私立三浦高校在学中、教師の柴田俊一から指導を受け、現代美術に興味を示すようになる。1966年第7回現代日本美術展に出品、同年銀座の村松画廊で初個展(以後同画廊で83年までに5回個展を開催)を行う。初個展の作品は、矩形の支持体に複数の板をレリーフ状に構成したものだった。60年代末からは、海面を撮影した写真と鉛の棒、ガラス、電灯などを組み合わせたインスタレーションの作品を展開するようになる。71年、第6回国際青年美術家展で大賞を受賞、シェルター・ロック財団等の奨学金を得て2年間のフランス滞在を果たす。パリのギャラリー・ランベールで個展を開催するも、肺結核にかかり療養生活を余儀なくされたが、この体験は眞板にとって制作の姿勢を見つめ直す機会ともなった。73年に帰国後、神奈川県二宮町に住む。74年から、紀伊國屋画廊での第2回次元と状況展に参加、このグループ展には10回展まで出品を続ける。76年、第37回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。77年、第10回パリ・青年ビエンナーレに出品。海外への出品、旅行により、各地の風土にふれ、より自然と美術との関わりに思いをめぐらすようになる。80年代に入ると、ロープや布を用い、それを織り込んだ、網状や円のかたちをとる呪術的な趣を醸し出す作品を展開する。国内の画廊での個展や美術館の企画展への出品を重ねる中で、85年、ガストン・バシュラール生誕100年祭企画でのフランス、トロア市での展示、86年、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレへの出品は、ひとつの転機となった。作品の巨大化と野外彫刻、公共スペースのモニュメントの仕事が多くなっていく。構造上、作品の素材にはそれまで以上に、石や金属が使用されるようになるが、自然、とくに水へのこだわりは、止むことがなかった。その作風を耕すかのように、神奈川県秦野市(81年から)や長野県富士見町(94年から)の古民家を改造したアトリエで過ごすことも多くなっていく。1994(平成6)年、畏友安齋重男との神奈川県立近代美術館での展覧会「写真と彫刻の対話」では、代表作ともいえる29個の水盤状の立体「永遠の一端」を制作した。95年第7回本郷新賞を受賞。この頃から、竹を逆円錐状に組み上げる巨大な作品をみせるようになる。その環境造形としての試みは、97年下山芸術の森発電所美術館や2003年大原美術館の個展「音・竹水の閑」にみられた。現代美術の領域において、竹、自然石、布、水といった人々に親しめる素材を用い、ダイナミックに時に繊細に表現した作家といえよう。作品集に『眞板雅文1999』(小沢書店、1999年)がある。 「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用 出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(462-463頁) 登録日:2014年10月27日 更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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眞板雅文 - 連山 - 石彫
¥264,000
■作者 : Artist 眞板雅文 : Masafumi,Maita ■作品タイトル : Title of Work - 連山 - / Mountain Ranges ■作品サイズ : Size of Work W約36 x D32 x H11cm ■技法 : Technique 石彫 / StoneSculpture ■石素材: 鉄丸石 ■制作年: Year 2005年 ■サイン : Autograph 【有】(作品表面) / Signed ■Status : Very Good Condition/ Never Used Before ❖弊廊で眞板氏の個展は4回開催しています。(パブリックアートの設置も実施) この人と知り合え、また、懇意にしていただいたことは長きにわたる画廊人生に於いて、 大きな影響と自信を与えていただきました。 ❖ 眞板雅文 ❖ 没年月日:2009/03/09 分野:美術家, 造形作家 (美) 読み:まいたまさふみ、 Maita, Masafumi* 立体造形において独自の試みを展開した美術家の眞板雅文は、3月9日心筋梗塞のため自宅で倒れ、神奈川県大磯町の病院で死去した。享年64。1944(昭和19)年11月11日、中国東北部撫順(旧満州)で生まれる。47年引き揚げ後、神奈川県横須賀で育ち、私立三浦高校在学中、教師の柴田俊一から指導を受け、現代美術に興味を示すようになる。1966年第7回現代日本美術展に出品、同年銀座の村松画廊で初個展(以後同画廊で83年までに5回個展を開催)を行う。初個展の作品は、矩形の支持体に複数の板をレリーフ状に構成したものだった。60年代末からは、海面を撮影した写真と鉛の棒、ガラス、電灯などを組み合わせたインスタレーションの作品を展開するようになる。71年、第6回国際青年美術家展で大賞を受賞、シェルター・ロック財団等の奨学金を得て2年間のフランス滞在を果たす。パリのギャラリー・ランベールで個展を開催するも、肺結核にかかり療養生活を余儀なくされたが、この体験は眞板にとって制作の姿勢を見つめ直す機会ともなった。73年に帰国後、神奈川県二宮町に住む。74年から、紀伊國屋画廊での第2回次元と状況展に参加、このグループ展には10回展まで出品を続ける。76年、第37回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。77年、第10回パリ・青年ビエンナーレに出品。海外への出品、旅行により、各地の風土にふれ、より自然と美術との関わりに思いをめぐらすようになる。80年代に入ると、ロープや布を用い、それを織り込んだ、網状や円のかたちをとる呪術的な趣を醸し出す作品を展開する。国内の画廊での個展や美術館の企画展への出品を重ねる中で、85年、ガストン・バシュラール生誕100年祭企画でのフランス、トロア市での展示、86年、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレへの出品は、ひとつの転機となった。作品の巨大化と野外彫刻、公共スペースのモニュメントの仕事が多くなっていく。構造上、作品の素材にはそれまで以上に、石や金属が使用されるようになるが、自然、とくに水へのこだわりは、止むことがなかった。その作風を耕すかのように、神奈川県秦野市(81年から)や長野県富士見町(94年から)の古民家を改造したアトリエで過ごすことも多くなっていく。1994(平成6)年、畏友安齋重男との神奈川県立近代美術館での展覧会「写真と彫刻の対話」では、代表作ともいえる29個の水盤状の立体「永遠の一端」を制作した。95年第7回本郷新賞を受賞。この頃から、竹を逆円錐状に組み上げる巨大な作品をみせるようになる。その環境造形としての試みは、97年下山芸術の森発電所美術館や2003年大原美術館の個展「音・竹水の閑」にみられた。現代美術の領域において、竹、自然石、布、水といった人々に親しめる素材を用い、ダイナミックに時に繊細に表現した作家といえよう。作品集に『眞板雅文1999』(小沢書店、1999年)がある。 「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用 出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(462-463頁) 登録日:2014年10月27日 更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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眞板雅文 - 予兆 - MuxedMedia
¥110,000
■作者 : Artist 眞板雅文 : Masafumi,Maita ■作品タイトル : Title of Work - 予兆 - / The Sign ■作品サイズ : Size of Work 335x456mm (D,25mm) ■技法 : Technique MuxedMedia (鉛板・オイルパステル・乾燥植物・パネル) ■制作年: Year 2008年 ■サイン : Autograph 【有】(作品表面下部) / Signed ■Status : Good Condition 作品側面に鉛自然発生の白化が見受けられます。 No:08-55 ❖弊廊で眞板氏の個展は4回開催しています。(パブリックアートの設置も実施) この人と知り合え、また、懇意にしていただいたことは長きにわたる画廊人生に於いて、 大きな影響と自信を与えていただきました。 本作品は、遺作です。弊廊での展覧会がこの偉大な作家の生前最後の展覧会でした。 本作品はこの展覧会の終了後、「気に入っている作品だから此処に置いときなさい。」 ・・・いわば、遺作中の傑作というわけです。 ❖ 眞板雅文 ❖ 没年月日:2009/03/09 分野:美術家, 造形作家 (美) 読み:まいたまさふみ、 Maita, Masafumi* 立体造形において独自の試みを展開した美術家の眞板雅文は、3月9日心筋梗塞のため自宅で倒れ、神奈川県大磯町の病院で死去した。享年64。1944(昭和19)年11月11日、中国東北部撫順(旧満州)で生まれる。47年引き揚げ後、神奈川県横須賀で育ち、私立三浦高校在学中、教師の柴田俊一から指導を受け、現代美術に興味を示すようになる。1966年第7回現代日本美術展に出品、同年銀座の村松画廊で初個展(以後同画廊で83年までに5回個展を開催)を行う。初個展の作品は、矩形の支持体に複数の板をレリーフ状に構成したものだった。60年代末からは、海面を撮影した写真と鉛の棒、ガラス、電灯などを組み合わせたインスタレーションの作品を展開するようになる。71年、第6回国際青年美術家展で大賞を受賞、シェルター・ロック財団等の奨学金を得て2年間のフランス滞在を果たす。パリのギャラリー・ランベールで個展を開催するも、肺結核にかかり療養生活を余儀なくされたが、この体験は眞板にとって制作の姿勢を見つめ直す機会ともなった。73年に帰国後、神奈川県二宮町に住む。74年から、紀伊國屋画廊での第2回次元と状況展に参加、このグループ展には10回展まで出品を続ける。76年、第37回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。77年、第10回パリ・青年ビエンナーレに出品。海外への出品、旅行により、各地の風土にふれ、より自然と美術との関わりに思いをめぐらすようになる。80年代に入ると、ロープや布を用い、それを織り込んだ、網状や円のかたちをとる呪術的な趣を醸し出す作品を展開する。国内の画廊での個展や美術館の企画展への出品を重ねる中で、85年、ガストン・バシュラール生誕100年祭企画でのフランス、トロア市での展示、86年、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレへの出品は、ひとつの転機となった。作品の巨大化と野外彫刻、公共スペースのモニュメントの仕事が多くなっていく。構造上、作品の素材にはそれまで以上に、石や金属が使用されるようになるが、自然、とくに水へのこだわりは、止むことがなかった。その作風を耕すかのように、神奈川県秦野市(81年から)や長野県富士見町(94年から)の古民家を改造したアトリエで過ごすことも多くなっていく。1994(平成6)年、畏友安齋重男との神奈川県立近代美術館での展覧会「写真と彫刻の対話」では、代表作ともいえる29個の水盤状の立体「永遠の一端」を制作した。95年第7回本郷新賞を受賞。この頃から、竹を逆円錐状に組み上げる巨大な作品をみせるようになる。その環境造形としての試みは、97年下山芸術の森発電所美術館や2003年大原美術館の個展「音・竹水の閑」にみられた。現代美術の領域において、竹、自然石、布、水といった人々に親しめる素材を用い、ダイナミックに時に繊細に表現した作家といえよう。作品集に『眞板雅文1999』(小沢書店、1999年)がある。 「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用 出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(462-463頁) 登録日:2014年10月27日 更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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眞板雅文 - 予兆 - MuxedMedia
¥110,000
■作者 : Artist 眞板雅文 : Masafumi,Maita ■作品タイトル : Title of Work - 予兆 - / The Sign ■作品サイズ : Size of Work 335x456mm (D,25mm) ■技法 : Technique MuxedMedia (鉛板・オイルパステル・乾燥植物・パネル) ■制作年: Year 2008年 ■サイン : Autograph 【有】(作品表面下部) / Signed ■Status : Good Condition 作品側面に鉛自然発生の白化が見受けられます。 No:08-47 ❖弊廊で眞板氏の個展は4回開催しています。(パブリックアートの設置も実施) この人と知り合え、また、懇意にしていただいたことは長きにわたる画廊人生に於いて、 大きな影響と自信を与えていただきました。 本作品は、遺作です。弊廊での展覧会がこの偉大な作家の生前最後の展覧会でした。 本作品はこの展覧会の終了後、「気に入っている作品だから此処に置いときなさい。」 ・・・いわば、遺作中の傑作というわけです。 ❖ 眞板雅文 ❖ 没年月日:2009/03/09 分野:美術家, 造形作家 (美) 読み:まいたまさふみ、 Maita, Masafumi* 立体造形において独自の試みを展開した美術家の眞板雅文は、3月9日心筋梗塞のため自宅で倒れ、神奈川県大磯町の病院で死去した。享年64。1944(昭和19)年11月11日、中国東北部撫順(旧満州)で生まれる。47年引き揚げ後、神奈川県横須賀で育ち、私立三浦高校在学中、教師の柴田俊一から指導を受け、現代美術に興味を示すようになる。1966年第7回現代日本美術展に出品、同年銀座の村松画廊で初個展(以後同画廊で83年までに5回個展を開催)を行う。初個展の作品は、矩形の支持体に複数の板をレリーフ状に構成したものだった。60年代末からは、海面を撮影した写真と鉛の棒、ガラス、電灯などを組み合わせたインスタレーションの作品を展開するようになる。71年、第6回国際青年美術家展で大賞を受賞、シェルター・ロック財団等の奨学金を得て2年間のフランス滞在を果たす。パリのギャラリー・ランベールで個展を開催するも、肺結核にかかり療養生活を余儀なくされたが、この体験は眞板にとって制作の姿勢を見つめ直す機会ともなった。73年に帰国後、神奈川県二宮町に住む。74年から、紀伊國屋画廊での第2回次元と状況展に参加、このグループ展には10回展まで出品を続ける。76年、第37回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。77年、第10回パリ・青年ビエンナーレに出品。海外への出品、旅行により、各地の風土にふれ、より自然と美術との関わりに思いをめぐらすようになる。80年代に入ると、ロープや布を用い、それを織り込んだ、網状や円のかたちをとる呪術的な趣を醸し出す作品を展開する。国内の画廊での個展や美術館の企画展への出品を重ねる中で、85年、ガストン・バシュラール生誕100年祭企画でのフランス、トロア市での展示、86年、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレへの出品は、ひとつの転機となった。作品の巨大化と野外彫刻、公共スペースのモニュメントの仕事が多くなっていく。構造上、作品の素材にはそれまで以上に、石や金属が使用されるようになるが、自然、とくに水へのこだわりは、止むことがなかった。その作風を耕すかのように、神奈川県秦野市(81年から)や長野県富士見町(94年から)の古民家を改造したアトリエで過ごすことも多くなっていく。1994(平成6)年、畏友安齋重男との神奈川県立近代美術館での展覧会「写真と彫刻の対話」では、代表作ともいえる29個の水盤状の立体「永遠の一端」を制作した。95年第7回本郷新賞を受賞。この頃から、竹を逆円錐状に組み上げる巨大な作品をみせるようになる。その環境造形としての試みは、97年下山芸術の森発電所美術館や2003年大原美術館の個展「音・竹水の閑」にみられた。現代美術の領域において、竹、自然石、布、水といった人々に親しめる素材を用い、ダイナミックに時に繊細に表現した作家といえよう。作品集に『眞板雅文1999』(小沢書店、1999年)がある。 「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用 出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(462-463頁) 登録日:2014年10月27日 更新日:2019年06月06日 (更新履歴)